前回、帰省した時に姉から一冊の文庫本をもらった。ふるさと新宮市が誇る初代名誉市民の文豪・佐藤春夫著「わんぱく時代」だ。姉は、以前から地元の文化活動などに参加しており、佐藤春夫関連の講習会や勉強会などにはいつも参加しているという。私自身は、恥ずかしながら有名な芥川賞作家でもある佐藤春夫のこの名作を読んでいなかった。

佐藤春夫は、近代日本の文壇で詩、文芸評論・随筆・童話・戯曲・評伝・和歌と多岐にわたる活躍をし多くの作品を残した文豪の一人であるが、一般の知名度は驚くほど低い。瀬戸内寂聴など、格は川端康成よりはるかに上という人もいるが、川端のノーベル賞受賞はあまりにも大きい出来事でマスコミの取り上げ方も随分違ってしまった。従ってこの作品もあまり知られておらず。現に同郷人である私自身も初めて知った。帰宅してふと思いだし読んでいるうちにぐいぐいと引き込まれていった。

自伝的小説と言われるこの物語の前半の構図は、小・中学校時代の子ども同士の喧嘩を、お互いの体を傷つけるまでには至らないようにと知恵を絞って、「戦争ごっこ」に仕立て上げるというもの。自分は喧嘩となると一番弱い側に属すると認識した上で、番長ともどこか通じ合う部分を探って付き合いながら次第に打ち解けてく。このあたりは少し大人びた考えが既に備わっており、リーダーとなれる素質があったようだ。

また、数学が嫌いで本ばかり読んでいる子供であったこと、当時から文学者になると宣言していたことなどを知ると、その後の人生がこの時にすでに決まっていたような気もする。代々医者という裕福な家庭に生まれ何不自由なく育てられた春夫だが、進級試験に失敗し、さらに文学者になると言って父親を激怒させ母親を泣かせることになっていく。

ふるさとの山や川、勝手知ったる町並みの様子が出てくるので時代は違うとはいえ、ところどころで自分自身の子ども時代の映像とかぶさる部分があり興味深い。初恋、喧嘩、反逆心-春夫の少年時代の思い出の記述が続いた後、後半では、当時の教育制度についての疑問や、与謝野鉄幹、北原白秋、永井荷風など有名な文人との出会いなどが複雑に絡み合い、人生の行く末に関わっていく。

更に、世に言う大逆事件が我がふるさと新宮の町で、こんなにも身近に起こっていたこととは思いもよらぬことであった。「わんぱく時代」という本のタイトルからは想像もできない展開になり、この本の中で春夫は当時の世相や時代背景に深く切り込んでいく内容となっている。

大逆事件は、神聖にして犯すべからざる存在の天皇を、事もあろうに暗殺などとあるまじき不敬事を種に国民を煙に巻き、支配階級養護の具に供し12人を国家の権威で虐殺したものだと春夫は断言する。このような過激な事件を醸造した時の政府とその手先である裁判官どもこそ真実の大逆罪と信じてやまない。今年1月、107年前に絞首刑となった一人、大石誠之助は新宮市の名誉市民になり、107年ぶりに名誉を回復した。

著者のあとがきによると「わが少年時代と、わが少年期を過ごしたふるさとの町と、その時代とを根も葉もあるうそ八百で表現したいので、ところどころに事実談があるからと言って全部を真に受けてもらっては困る」と断り書きを入れている。また、「わたくしは少々は事実は曲げても真実を書きたかったのである。虚構はわたくしにとっての真実を書くためのかくれ蓑である」とも言っている。世に有名な「大逆事件」に対して一言もの申したいという春夫の信念が感じられる。

私小説という言葉があるが、自分自身の体験を小説に仕立てあげることは、全くの虚構を一から書くよりも易しいかもしれない。しかし、単に物語として発表するのか、それをベースにして本当に世に問いたいことをその中に埋め込んでいるのかは作家の思い次第であろう。

私小説をベースにしようがしまいが、世に訴えたい何かを書くのが作家の本来の姿なのかであろうか。また、特に主張はなく単に自身の体験を書いているだけでも、流麗な文章や感情表現の巧みさで読む者の心をつかんでしまうのが作家の作家たる所以なのであろうか。この疑問は未だに解けない。

この作品は春夫が65歳の時に書いたものである。川端康成は、「作家修業は文章修業である」と言い、松本清張は「本当に瑞々しい作品は若い時には書けない」と言ったそうだが、両文豪のこの言葉に照らしてみると、春夫の持てる才能に長年の修行を積み重ねて書いた渾身の作と言えるだろう。

最後に、この小説の中には自分自身の実体験とよく似た個所が2つあった。

番長との付き合い
ひとつは、小学校時代にはどこにでもあるクラスの番長と結構うまく付き合っていたことである。何につけてもライバル関係にあったが、放課後のソフトボールでは、H君が3番サード、私は、4番でピッチャーだった。相撲ではいつも張り合っていて、コンクリート階段の角で頭を打ち眉間を数針縫ったことがある。それも時を置いてお互いに一度ずつ病院に運ばれた。基本的には相いれないものを持ちつつもお互い何故か一目おいていた。7年前に50年ぶりの小学校同窓会に参加した時、彼の消息を聞くと、亡くなったと聞いて寂しい思いをした。

受験の失敗
まさか、春夫のように才能も有り優秀な学生が進級試験に落第をしているとは思いもよらなかった。私自身も数学があまり好きではなく、それが原因で受験に失敗しているのでこの点では親近感を覚えた。だからと言って、私には春夫のように文学の才能はないので比べる意味もないが。

この本を読んでみて、佐藤春夫という作家に、一気にのめり込みそうな予感がしている。

西  敏

0