papua日本の南5000キロに位置するパプア・ニューギニア。成田からの直行便でわずか6時間25分と、想像以上に近く、東南アジアに行く感覚で旅行ができる。独特の民族文化や熱帯の大自然をキーワードに語られてきた「地上最後の楽園」。最近はダイビングスポットとして注目を集め、ビーチリゾートとしての新しい魅力が加わりつつある。素朴な島人との交流は楽園の旅をより楽しいものにしてくれるだろう。

ニューアイルランド島北端の町ケビエンに建つツリーホテル

朝5時、ホテルの屋根を叩く強烈な雨音で目が覚めた。我が宿泊所は大きな木の上に作られた三階建てのツリーホテルで、屋根のトタン板を打ち鳴らすスコールは、さながら数十のカスタネットの連打のようであった。

ベッドを抜きだしドアーを開けると、一気に涼気が部屋に流れた。サゴヤシで葺かれた廊下が砂浜に延び、その屋根に雨が吸い込まれていく。回廊から眺める真下のラグーンには昼間と変わりなく二拍子の穏やかな波が打ち寄せ、遥かかなたの地平線はぼっと霞んで見える。

雨に揺れる椰子の林は水墨画のようだ。カラスの一種であるコットコットのワッワッワッアという鳴き声が波音に混じる。近くの村から鶏の声が聞こえた。雨はこの小さな村のすべてを支配し続けていた。

私たちがいるケビエンは、パプアニューギニア(略して PNG)本島の東側に浮かぶニューアイルランド島の北端に位置している。弓のように細長い島の人口は約1万人。日本軍がニューギニアに侵攻した際に最初に上陸した町で、ここからニューブリテン島のラバウルに向かった。カビエンにはいまだに旧日本軍の戦跡も多く、大砲や高射砲が残っていた。

村人の協力で、木の上のホテルが実現

その町外れのゴールデンサンド・ビーチに建っているのが、世界でもユニークなツリーホテルだ。カラフォリムと呼ばれる大きな樹木の切り株の上に建てられたツリーハウス・ビレッジ・リゾート。木の階段を上ったところがフロント兼レストラン、その上が部屋となっていて、私たちはそこに泊まった。2ベッドにチェアー、三方に窓があった。さらにその上のペンタハウスにも泊まることも可能だ。オーナーであり実際にホテルを造ったのはニュージランド人のアラン・ベックさん。

「最初、自分の住み家として建て始めました。5mの高さまで出来たとき、みんなクレージーと言いました。ところが屋根のの形ができてくると、みんなグッド・アイディアだとほめてくれました。(笑い)」

2000年11月から工事を開始し、翌年9月に完成した。隣接するバルース村(8家族60名)の人たちが協力してくれて、常時15人多いときで30人の村人が手伝ってくれた。

「苦労したのは、雨期に入ると伝統的なツリーハウス用の材木が集められなかったことです。村人たちは本当によくやってくれました。これは世界で一番大きなツリーホテルだと自信を持っていますよ。熱いお湯も出ますしトイレも水洗です」

ホテルもすごいが、このアランの経歴も一編の小説になるほど波乱万丈だ。ニュージランドのクライストチャーチ生まれのアランは、20歳の時にカナダにユーコン準州に渡り7年間金鉱で働きお金を貯めた。ニュージランドに帰国後、その稼いだお金をベースにヨットの製作を始めた。自分でヨットを造り販売するのである。

最初に造ったのは40フィート、15トンのヨットだった。彼はヨットを作りながら自らもヨットマンとして南太平洋やカリブ海を長期にわたって航海した。「僕はひとりでいるのが好きでね。海の上にいるとハッピーな気分になる。だから独身」と笑った。航海の後ニュージランドに戻り、テレビ会社で番組制作の仕事に就く。

「1995年に撮影で初めてここケビエンに来て、一発で気に入った。自然も豊富で、島人の気持ちがすごく優しくてね。それで村の酋長の許可を得て2000年にここに永住することを決意しました。現在ホテルのマネージメント、空港への送迎も僕がやっています」

現在、部屋は本棟に2部屋、その両側に8室ある。豪華さはないが手作りの温もり、アランの人柄がホテルのあちこちから伝わってきた。「週末はこの村のテレビ局のカメラマンの仕事もしていますよ。僕、忙しいのが好きなんだよ」

ビッグ・モーニング、ビッグ・レイン

ホテルには、すぐ隣りの村の子供たちやおじいさんが毎日遊びに来る。酋長が私たちのかばんを部屋に運んでくれるほどだ。子供たちも屈託がなく可愛い。村人たちと片言のピジン・イングリッシュで話すのが楽しい。

元々「ピジン」とは、共通語を持たない人々が意志の疎通を行なうために生まれた言語であり、第一言語が別に存在する。PNGの場合は英語とドイツ語だ。文法的にも簡素化されている。たとえば、英語のI,My,Meなどの区別はなく、すべてミーを使う、三単元のSもなし、動詞も過去形がない、主語と名詞の一致もない・・。

大雨の日、ホテルへ遊びに来た酋長のガルフィル・ネルソンさんと話をした。腰巻きひとつのチャーミングなおじいちゃんである。「ビッグ・モーニング、ビッグ・レイン」と酋長は天を指さしにっこりと笑った。つまり「早朝に大雨が降ったな」の意。「ビッグ・モーニング」とは早朝のことなのだ。

「ワ・ネム・ビロン・ユ?(名前は何?)」と聞いてきたので「ネム・ビロン・ミ・モリモト」と答えた。ピジン語にはこのビロンが多用される。おそらく英語のbelongからの転用だろう。「ハマス・クリスマス・ビロン・ユ?」は「何回のクリスマスがあなたに属しているか?」から「何歳か?」のことである。「ミ・ビロン・ジャパン」とは「日本人」の意味となる。

銀行は「ハウス・マニー」、病院は「ハウス・シック」、郵便局は「ハウス・ポス」ということも酋長から教えてもらった。傑作なのは、最高のことは「ナンバー・ワン」、最低が「ナンバー・テン」という。さっそく「PNGナンバー・ワン」と言うと、集まっている人全員がにこっとした。酋長のそばに座っていた大工さんが「ジャパン・ナンバーワン」と言い、日本語で「もしもし亀よ。亀さんよ・・・」と日本語で歌い始めた。父親から教わったという。

さて夕方、私たちのために村人がシンシンをやってくれることになった。シン・シンとは祭のことで、英語のSingに由来する。村人全員が集まるなか、仮面を被った5人の若者が一生懸命に踊ってくれた。私も打楽器のリズムに合わせ腰をくねくねさせながら写真を撮ると、一斉に笑い声が起こった。日没前の柔らかな夕陽が黒い肌を包む。木の陰が大きく延びる。浜風に潮の匂いがした。私はゆったりと流れる時間のなかで、ゲストとして受けいられたのを実感した。

ニューアイルランド島 巨大ウナギが棲む小川があり、サンゴ礁のような川もある

ニューアイルランド島の北端に位置するケビエンは、三方が海に囲まれた人口1万の小さな町だ。漁業の基地として重要な位置を占めている。ツリーホテルのオーナーのアランの車で市内見学をした。季節は乾期から雨期に変わる時期でむっとした熱気が私のTシャツにまとわりつき汗が背中を走る。澱んだ熱気の中で動くのは微かな風だ。

町の中心にパブリックのゴルフコースがあった。ゴルフ場というより市民の憩いの場といった雰囲気で、島人は寝転がったり話をしたりしている。キッキパラパリと鳴く小鳥の声がする。ワッワッワッアという鳴き声も聞こえる。コース内にハウス・ポリス(警察署)があるというのもパプア・ニュギニアらしい。

一番賑やかな通りにはスーパーマーケットが数軒あり、停留所ではたくさんの人がバスを待っていた。港の近くに立つ朝市を見に行くと、地面にタロイモやバナナ、パパイア、カニ、魚、タバコの葉などが並べられている。会う人が「モーニン」と声をかけてくる。市場見学の後、アランが面白いところに連れていくと言った。

市内から車で東に向かった。整備された道路の両側にはヤシのプランテーションが続き、左側のヤシの林の向こうにエメラルドの海が見え隠れする。ケビエンから20分ほど走るとラライビナ村に着いた。

「この村を流れる小川に、大きなウナギがいるんだよ」とアランは小川に私たちを案内した。民家のそばを流れながら清冽な小川の美しさにまずびっくりした。その水面に大きな黒い影が7つ。5年前から村人が大事に飼っているウナギで、全部に名前がついている。一番大きなウナギは1.2mもあり、名前はフォリスター。水に浸した私の脚にすり寄ってきたウナギの体はまるでビロードのような感触だった。

その後、フイッソアという村に車を走らせた。村の奥にワラ・ブラオという天然のプールがある。林の奥から川が流れてきているがサンゴの海のような深い緑色をしていて、取り巻く林の間を抜けてくる太陽の光が柔らかい。川底が透けて見え、水面に光が反射している。まるで桃源郷のような世界。

川の岸辺では子供たちが、大木からぶらさがったロープをブランコのように利用して川に飛び込んでいた。「俺を撮ってくれ」と次々とアピール。川から上がった子供たちの褐色の肌が太陽の光を浴びて、ガラス板のような硬質の光を反射している。素朴な笑顔が素晴らしい。自然といい子供たちといい、汚れのない世界がケビエンに残されていた。

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