私の親しい友人であった森本剛史君が2014年9月22日、闘病むなしく亡くなってまもなく三回忌を迎えます。彼は、トラベルライターとして世界100ヶ国以上を巡り、数々の旅行情報を提供してきました。彼から、ホームページ「旅好堂」に掲載してほしいと預かっていた紀行文を、本日より、「森本剛史特集」として紹介したいと思います。

キューバから情熱い風が吹き始めた

cubaキューバを“発見“したコロンブスは「地球上で最も美しい島」と称賛した、という。盟友のソ連が崩壊しようが、アメリカが国交断絶を続けようが、キューバには愛すべき情熱の人間がいて、元気な音楽がいつも流れ、楽しく踊る人たちがいた。 漂う空気や差し込む光の濃密さ。海や空の透明感。

キューバという国は、旅行者にとって妙にあとを引く国だ。観光事業に力を入れ始めた「カリブ海の真珠」、キューバ ラテンの血と社会主義。ラテンといえば、すぐにでも踊りだすような情熱的で陽気な国民性がすぐに頭に浮かぶし、コミュニズムはといえば重苦しく閉鎖的で国全体が灰色に覆われているイメージが強い。こんな相反する2つの要素が共存しているキューバとは、どんな国なんだろう?

この国は、ある意味において、歴史の壮大な実験を行っているのかもしれない。首都ハバナの町を歩いてみればすぐにわかることだが、この国の暮らしぶりは決して楽ではない。しかし、ブラジルや他の中南米のように物乞いやストリート・チルドレンには会うことがなかった。これは中南米では驚くべきことなのである。

キューバは東欧諸国や中国などの社会主義国とどこか違う。まずはフィデル・カストロの肖像画がほとんど掲げられていなかったことがあげられよう。考えてみれば、20世紀の世界を動かした政治家の中で、現在も生き残り、政権についているのは唯一カストロ首相だけだ。そのカリスマの肖像画がないのが意外だった。だが、カストロと一緒に革命を闘ったチェ・ゲバラの写真は、キオスクで売られている絵葉書のなかで発見した。ゲバラとカストロは今もこの国の英雄であり続けている。

もうひとりの英雄は、パパ・ヘミングウエイだ。ハバナ市内には、ヘミングウエイの足跡があちこちに残っていて、彼が常宿にしたホテルや行き付けのバーなどが観光名所となっている。キューバ人はパパ・ヘミングウエイをこよなく愛し、誇りにし、まるで偉大な同国人のように語るのである。スペインの遺産とアメリカが残した爛熟のデカダンス。20世紀のキューバの歴史は産業を牛耳られた「米国の影」との闘いだった。そして1959年のカストロの革命。町中に「フィデル!」と叫ぶ声がこだまし、40年が過ぎ去った。

93年のソ連の崩壊のときは、キューバは相当なダメージを受けた。ソ連からの援助がなくなり国家は破産寸前にまで追い込まれる事態に。国内総生産(GDP)が、89年に比べて35%も下落したが、キューバ人の外貨所持解禁や個人営業の許可などの経済政策で乗りきった。最近は観光事業にも力を入れ、スペインなどとの合弁で豪華なリゾートホテルがいくつも建てられている。今年8月、日本から最初の直行のチャーターフライトが飛ぶ予定だ。「遥かなる国」は、もっともっと近くなる。

哀愁のオールド・ハバナ音楽が流れ、アメ車が走る。1900年代初頭、キューバは事実上米国の保護国と化し、政治的にも経済的にも米国追従の度合いを増していた。ハバナには米国、主にフロリダからの富豪や銀行家、映画俳優、作家、成金、ギャング連中などいろいろな人種が集まって来た。ナシオナル・デ・クーバのカジノでは連日ルーレットが回され、混血女が踊り、熱帯の美酒が飲み交わされた。この歓楽の巷は1930年代のバティスタ政権のときに最高潮に達する。

ハバナが米国支配の大歓楽都市であったこの時代の「歴史的遺物」は、ポンコツのアメ車だ。革命後米国からの自動車の輸入は禁止されてしまったから、現在走っている車は50年代製のフォード、シボレー、クライスラーなどが多く、「最新」のアメ車は1959年製ということになる。アメリカの「目の上のたんこぶ的存在」の国の道路にアメ車があふれている、というのは歴史の皮肉だろう。

ハバナはスペイン様式を色濃く残す旧市街と、その西に広がる新市街とに分かれる。旅行者にとって、おもしろいのは断然旧市街だ。バロック建築のカテドラルを中心にして、16世紀以来のスペイン風の建物が古いままに残され、碁盤の目状に石畳の細い道が広がっている。現在建物は傷み壁は剥げ落ち朽ち果てているが、建設当時はさぞ美しかったであろうと思わせるパステルカラー。街路の光や濃密な空気のなかに人の血液をラテン化する謎の要素が漂っている。

旧市街を歩いていると、くすんだパステルカラーの家の窓から軽快な音楽が降ってきた。「チャンチャン」という、キューバ伝統のダンス音楽ソンをベースにしている曲だ。97年のグラミー賞を受賞し、世界で200万枚も売れたCD「ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ」のなかの一曲。ロック界異端のギタリスト、ライ・クーダーがキューバに自分の音楽のルーツを求めて旅行した際、革命前に活躍していた老ミュージシャンたちに会い、このCDをプロデュースした。ミュージシャンの最高年令はなんと92歳、平均年齢は70歳を軽く超えている。このCDをつくる過程をドキュメント映画にしたのがヴィム・ベンダース監督。映画のなかの老人たちがチャーミングでなんと楽しそうに音楽を奏でていることか。生まれたときから死ぬまで音楽と共にある、それがキューバ人の人生哲学だ。ということもこの映画は語っていた。

この国の音楽は、スペイン文化とアフリカ文化との融合で生まれた。ハバネラ、ボレーロ、チャチャチャ、ルンバ、コンガ、マンボ、そして人気のサルサまでまさに、キューバは音楽天国の名に恥じない。どんなレストランにもバンド演奏が入り、客はすぐに踊り始めるし、ウエイターは体でリズムをとりながら料理を運んでくる。この国を旅すると、音楽とダンスが生活の一部になっているのが実感としてわかるし、キューバの音楽の「明るさ」は、かつての大国による支配とか奴隷の歴史、革命とかの残酷な「暗」の部分と表裏一体になっている、とハバナの路上で思う。

さて、キューバはここ数年来、観光客受け入れに積極的で、リゾート・ホテルの建築ラッシュである。95年の新外貨法によって外貨規制が大幅に緩和されたことによるもので、大半はキューバとの合弁という形をとっている。その投資先は観光事業、特にホテル建設が中心で、過去10年間の観光事業の成長率は平均19.5%にもなる。投資の多い国はスペインをトップに、カナダ、イタリア、イギリス、フランスだ。

観光客の数も急激に伸び、10年前に34万人だった観光客が、今年には200万人(うち日本人の観光客は5000人弱)を突破する勢いで、イタリア、スペイン、ドイツ、カナダ、メキシコからの観光客が目立っている。そんなシンボル的存在がバラデロで、ハバナから車で東に2時間ほど走ったヒカコス半島に位置している。真っ青な海に向かって角のように延びる白砂のビーチは25キロも続き、ビーチに沿ってヨーロッパ系の豪華なリゾートホテルが林立している。

かつて半島の一部は億万長者デュポンに買い占められ、豪華な別荘が建てられていたエリアで、その後も米国の金持ちが続々と別荘を建て、バカンスを楽しんでいたが、革命が勃発するとオーナーたちはフロリダに逃げ、残った別荘はキューバ共和国の所有となった。現在バラデロは36軒ものホテルを擁する一大リゾート地へと大きく変貌を遂げた。社会主義国とは好対照の、底抜けに明るいカリブの華やかさ。熱い風がビーチを吹き抜けている。

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