この記事は、平成28年11月15日(火)から、29年3月12日(日)まで佐藤春夫記念館で開催された企画展「風船画伯・谷中安規と佐藤春夫」に用いられたトーク資料を元に書かれています。今回、あらたに佐藤家で見つかった谷中作品、佐藤春夫記念館所蔵作品を紹介し、佐藤春夫と谷中安規との関連を辿っています。

一般に奇人版画家と言われる谷中安規(たになか・やすのり・1897‐1946、明治30-昭和21)。「阿房列車」や「百鬼園随筆」を代表作とする内田百閒(うちだ・ひゃっけん・1889-1971、明治22-昭和46)が名づけ、本人も名乗ったと言う「風船画伯」(風船のようにふらっとどこへ行くか分からない)の名称。夢遊病者のように、関東大震災後、変貌をとげた大東京を彷徨いながら仕上げられていった作品の数々。

谷中27歳の時に佐藤春夫と知り合い(大正13年)、谷中の才能をいちはやく見抜いたひとりが、佐藤春夫でした。春夫は「章魚吹笛」(しょうぎょ・すいてき、章魚は「たこ」のこと)のなかで、生真面目で飄々とした谷中の人柄をユーモアたっぷりに描いています。

内田百閒に谷中を紹介したのも春夫で、以後、百閒の本の挿絵や装丁を手掛けるようになり、百閒・安規コンビの本が、物語と挿絵の絶妙なコントラクションとして、世間の注目を集めます。戦災で被災し、掘立小屋で暮らした谷中は敗戦の翌年に極貧のうちに餓死するのです。享年49歳でした。

春夫は、「絵本FOU」のはしがきに「谷中は僕のカンナ屑を化して花びらにし、僕の小石を拾ってパンにした」と記しています。春夫邸に自由に出入りする人々に綽名が付されていたようですが、谷中は「生きた幽霊」。春夫の小説「環境」の一部挿絵も谷中が担当、同書には谷中の春夫の一粒種の方哉(まさや)宛の手紙も掲載されています。

最近、一時、棟方志功とも併称された、谷中安規作品への注目や関心が高まりつつあります。今回、あらたに佐藤家で見つかった谷中作品、遺族宅で見つかった新資料、佐藤春夫記念館所蔵作品等を紹介し、佐藤春夫と谷中安規との関連を辿ってみます。

佐藤春夫記念館

【出典:佐藤春夫記念館・企画展「谷中安規と佐藤春夫」・「企画展開催にあたって」2016年11月】

 

 

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