今回、あらたに谷中安規の『童話絵本 桃太郎第一稿本』草稿11枚(含む・表紙)が見つかりました。左上に、「慵斎先生、息 方哉君への童話絵帖作成スルニツイテノ参照本」の書き込みがあります。「慵斎先生」とは、この頃佐藤春夫が号した名。最後に「佐藤先生御被見の事」とあります。春夫にも目を通していただきたい、という断り書き。

「桃太郎」の話は、明治20年に、正式に『尋常小学校読本』に選ばれ教材にされました。明治33年、44年に『尋常小学校唱歌』に載せられ、その後さかんに受容されています。明治から大正にかけて、新教育論をアピールする風潮で、唱歌の歌詞などは、日露戦争後のナショナリズムの高揚の波に乗って威勢よく、大正期の自由な雰囲気にはなじまない要素も出てきます。

そこで登場するのが、芥川龍之介の「桃太郎」です。1924年7月の「サンデー毎日」夏期特別号に掲載され、翌年、多くの作家たちの短編集で構成された、岸田國士慰問集の『白葡萄』に収録されます。

芥川版「桃太郎」の意外さは、鬼に拠る騒擾もないなかでの征伐に旅立つ唐突さ、鬼が島から凱旋した後日譚の意外さなどです。そこには、わが国の植民地政策に対する揶揄が含まれているとする解釈が一般的です。

さらに、内田百閒の「桃太郎」は犬も猿も雉も出てきません。鬼退治もありません。桃から生まれた赤ん坊に驚き、大切に育てることに力を尽くします。桃の実を食べることすら忘れてしまいます。森で寝ていた猪が、桃の実を盗み出し、小さい蟻がいっぱいついた桃の実を猪は蟻ごと食べてしまって「めでたし めでたし」で終わります。「桃太郎」が収録されている『王様の背中』の前書きには、ここに収められている作品には「教訓的なもの」は一切ない、と記されています。

さて、谷中安規の「桃太郎」草案は、「その一」「その二」から成っています。「その一」の「桃の実」にまったく無関心な両親の姿は、内田版「桃太郎」を連想させます。

さて、谷中版「桃太郎」草稿、「その一」では、大きな桃の実から生まれた桃太郎を大事に思うあまり、おじいさんもおばあさんも、桃の実には関心がありません。そこへ、犬、猿、雉が出てきて桃の実を断りなく食べる。「その二」では、悪をする鬼退治、犬、猿、雉がきびだん子を持ってお伴をします。おじいさんは鬼の角を折れば力を失くすと助言しますが、桃太郎は弱い鬼とは闘いたくないとして、洞穴でだまし討ちをした鬼が、自然に角を折ってしまって降参する。桃太郎はおじいさんやおばあさんが住んでいる村で、猿や雉や犬、真人間になった鬼らとともに、平凡な平和な生活を送るところで終わります。

とにかく、挿絵まで入った絵本が完成しなかったのは残念ですが、、谷中版「桃太郎」も「桃太郎」像の系譜の中で考えてみたいものです。

ちなみに、民俗学者柳田国男が『桃太郎の誕生』を上梓するのは、1933(昭和8)年のことです。

 

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