曼荼羅とは、マンダ(本質)と、ラ(有る)の合字で、」諸仏などを配した理想的な宇宙・世界観を示す言葉である。密教の金剛界・胎蔵界の両界曼荼羅がはよく知られているが、中世には神仏習合を反映して、本地仏曼荼羅、垂迹神曼荼羅、神社の景観と本地仏などをあらわした宮曼荼羅などが描かれた。一方、中世後期には、神社や寺院の霊場景観と多くの参詣者を描写する、社寺参詣曼荼羅と呼ばれる一群の絵画が登場する。

社寺参詣曼荼羅は、現在全国の40あまりの社寺に約100本以上が伝わっており、西国三十三所観音巡礼寺院のものは四十数本も残る。何枚もの紙を張り合わせて、約1.5x1.5㍍ほどの大幅にし、泥絵の具で霊場の風景や社堂・橋・門・鳥居・参詣者・祭礼・行事のほか、社寺にまつわる縁起や説話などを、鳥瞰図的に稚拙ながら巧みに配し活写している。

参詣曼荼羅は全国各地に持ち歩かれ、社寺の造営・修復の浄財を集める勧進聖たちらの民衆への絵解きに用いられた。携帯用に折りたたまれたため、折り目が残り、鉤や乳(掛け輪)の付いているものもある。そこには霊場の魅力と個性が満ち溢れており、庶民への唱導絵画として衆目を集めてきた。

那智参詣曼荼羅は、全国で31本が発見されており、巻子本も二本ある。成立のわかるものは、田辺の闘鶏神社本のみで、慶長元年(1596)の年紀が見える。那智の場合の全体構図は、那智湾から北西方向の那智山と那智大滝、妙法山方面を俯瞰し、海辺の浜ノ宮王子や補陀落山寺から、ジグザグに登りながら社堂を描いていく構成をとっている。右上に那智滝、左上に妙法山という左右対称、上方に熊野の山々、下方に那智湾という上下対象の画面構成も巧みである。

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