熊野は、これまでどちらかというと全国の観光地の中でもマイナーな存在であったと思う。しかし、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産として登録されて以来、アクセスが少々不便であるにもかかわらず、次第に人気を集め、このところ外国人をも含め観光客を増やしつつある。

熊野の魅力といえば、何と言っても神々が宿る重なり合う山々、広がる深い森、そして、古事記・日本書紀にも登場するような悠久の歴史であろう。自然崇拝の聖地であった熊野三山は、天皇から貴族、庶民に至るまであらゆる階層の人々の信仰を集め、熊野詣は「日本人の旅の始まり」となり、熊野は人々の「心のよりどころ」となったのである。

その熊野三山よりさらに古い歴史を有する神社が阿須賀神社である。新宮ネットの共同代表である小渕伸二氏が、阿須賀神社について調査しまとめた資料を紹介したいと思います。

阿須賀神社は、熊野川の河口付近南岸、速玉大社より海に近いところにある蓬莱山の南麓に鎮座する古社で、平安時代から「阿須賀王子」と称されていました。

阿須賀の「阿」は接頭語で、「須賀」は砂州、砂丘など砂がたまるところを意味する古語の「すか」、祭祀生活を営む好条件を備えた霊場として名付けられています。蓬莱山は、北側は熊野川に面し、円錐形をした神奈備山の古代古墳の形態を有しています。

  世界遺産「阿須賀王子跡」(阿須賀神社・蓬莱山)
当社の歴史は古く、境内には神武天皇BC660東征のとき熊野神邑(新宮阿須賀)に立ち寄ったことを示す「神武天皇聖蹟顕彰碑」が昭和15年に建立されています。
創建は第五代孝昭天皇BC423(皇紀238)と伝えられています。
阿須賀神社境内や社殿背後の蓬莱山からは弥生(BC300~古墳7C)時代の集落遺跡を示す竪穴住居跡祭祀遺跡、大量の御正体が出土しており、蓬莱山を御神体とする自然崇拝の祭祀場とみられ、熊野最古の原始信仰形態を証し、熊野発祥の地と言われています。
また、中国の秦時代BC210に始皇帝の命を受け、不老不死の霊薬を求めて旅立った徐福が熊野に来り、蓬莱山の麓に住み、農耕、捕鯨、製紙、造船等を伝えたという伝承があり「徐福の宮」が祀られています。
熊野権現御垂迹縁起」によると、熊野大神は初め神倉山に降臨し、後に新宮の東の「阿須賀の社」の北、対岸の石淵谷(貴祢谷)に「結玉家津美御子」という二字社として勧請されたという。その後、家津美御子は第十代崇神天皇BC148の御代に熊野川上流の音無の里(本宮)に遷ったとされる。このように阿須賀の社は熊野三所権現が降臨する以前から熊野における河口祭祀の古社「飛鳥権現」と名付けられ、新宮速玉社より以前から熊野地の地主神として祀られていた。結速玉は第十二代景行天皇BC71~の御代に今の新宮に遷座したとされている。(長寛勘文1163・熊野山略記)
阿須賀神社の祭神は事解之男命(ことさかのおのみこと)と、家津美御子大神・熊野速玉大神・熊野夫須美大神の熊野三所大神です。
主祭神は事解之男命で、その本地仏は「大威徳明王(だいいとくみょうおう)」とされます。大威徳明王は水牛にまたがる六面六臂六足という異様な姿をしています。世に蔓延する一切の悪を降伏させる仏であり、平安末期頃からは戦勝祈願の本尊とされた仏です。
稲荷神社と玉置山。玉置神社の三柱神社古くから三狐神と呼ばれ、稲荷信仰の要の神社として信仰を集めました。「玉置山権現縁起」に、三狐神(天狐・地狐・人狐)は熊野新宮の飛鳥(阿須賀)を本拠とされると書かれていて、このことから、古代阿須賀神社の三狐神が玉置神社に勧請され祭神として祀られていると推察されます。
阿須賀神社の現在の社殿は、昭和20年(1945)に米軍の空襲により付近の民家約200戸とともに焼失し、戦後27年再造営後、昭和51年(1976)銅板葺社殿に再建されたものです。
  住所:和歌山県新宮市阿須賀1丁目2-25 
  ※世界遺産登録 2016.10.24 (「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録されました。

 

 

 

0