新宮を愛する我がらのコミュニティ・サイト
新着記事

詩・小説・随筆・絵画・版画

漱石山房記念館

新宿区早稲田南町に、昨年オープンした新宿区立「漱石山房記念館」がある。なんとなく居心地の良いところで、本日を含め2度ほど訪問した。新しくおしゃれな記念館の建つ場所は、夏目漱石が1907(明治40)年から、没するまでの9年 …

佐藤春夫(1)はじめに

佐藤春夫は、大正時代に新進作家としてデビューして以来、詩、小説、評論、随筆など多くの作品を著し、小説「田園の憂鬱」、詩「殉情詩集」で文壇での地位を確立した。芸術院会員となり、わが国の近代文学界で大きな足跡を残した結果、文 …

私のわんぱく時代

過日、佐藤春夫の自叙伝的小説「わんぱく時代」の読書感想文を書いた。その中で、彼が通っていた小学校でまず、ひとりのがき大将との出会いとその後の関りについての話がでてくる。どこの学校でも、がき大将が少なくともひとりはいて数人 …

野口英世最後の地アクラ訪問記(6)

6.おわりに 今回、実際にアクラを訪問して感じたのは、現地の気候と生活環境の厳しさである。英世が滞在した1927-28年当時は、クーラーはなく、水や電気の供給も十分ではなかったはずだ。さらに、英世の51歳という年齢(現在 …

野口英世最後の地アクラ訪問記(5)

3)リッヂ病院 (Ridge Hospital) 1928年5月、野口英世は、アクラでの研究を終えニューヨークへ戻る前に、ロックフェラー財団のラゴス本部へ顔を出すことにした。ラゴスは、西アフリカ最大の都市で、現在はナイジ …

野口英世最期の地アクラ訪問記(4)

2)コレブ病院 (Korle-Bu Teaching Hospital) コレブ病院は、1926年、当時の英領ゴールドコーストに住む現地人のための病院として設立された。 写真3 衛生検査技師養成 設立時の名称は、ゴールド …

野口英世最期の地アクラ訪問記(3)

5.アクラにおける野口英世の足跡 1)ジェームスタウン(Jamestown) 1927(昭和2)年10月22日、野口英世はアメリカ客船スキシア号に乗り、ニューヨークを後にした。スキシア号は、アクラ行きの船の乗り換え地であ …

野口英世最期の地アクラ訪問記(2)

<strong>3.アクラへの道のり</strong> 日本から、アクラへの直行便はない。ヨーロッパのロンドン、アムステルダム、ローマ、または、エジプトのカイロ、中東のドバイなどへ行き、そこからア …

野口英世最期の地アクラ訪問記(1)

1.アクラ訪問への逡巡 野口英世とジョン・D・ロックフェラーの取材のため、三浦基弘前編集長とともに、アメリカ東海岸を旅したのは昨年5月。この旅の終わりに、「今度は、野口博士が亡くなったアフリカに行ってみましょう」と、三浦 …

太宰治心中の謎(10)

9.終わりに 太宰治の墓は、三鷹の禅林寺にある。よく整備された寺である。森鴎外(林太郎)の墓と、太宰治の墓は、ななめに向き合う形で立っている。私がここを訪れた時、どちらの墓にも花が手向けられていたが、鴎外のものは、枯れか …

1 2 3 9 »

観光情報

0

カテゴリー

Count per Day

  • 387105総閲覧数:
  • 366今日の閲覧数:
  • 83昨日の閲覧数:
  • 2016年3月28日カウント開始日:

QR Code

PAGETOP
Copyright © 新宮ネット All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.