新宮を愛する我がらのコミュニティ・サイト
新着記事

文化歴史散歩

ダンスは世界の共通語~玉置眞吉②

ダンスを通して世界を見つづけた後半生 こ の大仕事を終えて2年後、眞吉は「玉置舞踏学院」を解説しました。まだテレビもない時代、洋書店で手に入れたイギリスのダンスの教則本を研究しながら、東 京で社交ダンス教師の地位を固めて …

ダンスは世界の共通語~玉置眞吉①

1910年代から20年代にかけての日本は、「大正デモクラシー」の言葉に代表されるように、人々の自由と民主主義を求める運動が各地に広がった時期でした。そしてこの時代の雰囲気は「文化学院」という自由な学校を生み出し、そこには …

東くめ②~名誉市民称号授与式のこと(あや子記)

1962年7月15日! 「はとぽっぽ」歌碑の除幕式を終え、直ぐに母の旧い母校丹鶴小学校へまいりました。ここで名誉市民章授与の式が催されるのです。この丹鶴小学校の玄関に古びた大太鼓が置かれてありました。その昔母はこの太鼓を …

大石誠之助宅跡

大石誠之助宅跡(新宮市船町2丁目2-2~4-1)【地図】 大石誠之助(1867-1911)が大逆事件に連座するまで住宅兼医院として使っていました。当時の新宮の知識人の中で社会主義の枠にはまらないユニークな思想を展開したリ …

新宮ゆかりの文学者たち~①奥栄一宅跡

文学歴史散歩~奥栄一宅跡(大橋通4丁目1-1、現宮本石油)【地図】 奥栄一(1891-1969)は、佐藤春夫の同級生で文学仲間。詩・小説・映画批評・翻訳などを手がけたが、世に出ることはありませんでした。妻の奥むめをは戦前 …

新宮市名誉市民「東くめ」のこと①(あやこ記)

新宮駅前広場での「はとぽっぽ」歌碑除幕式のこと(あや子記) 1962年7月15日。この日は私共の母「東くめ」にとって真に記念すべき生涯最良の日であったと思います。雷さえ鳴った前日の曇り空に引きかえ、ふき清めたように雲一つ …

畑中武夫の碑

畑中武夫の碑(新宮高校正面玄関前)【地図】 畑中武夫(1914-1963)は田辺に生まれ、3歳の時新宮市畑中家(上本町)の養子となります。新宮中学~東京帝大を経て日本の天文学のリーダーとなりましたが、若くして亡くなってい …

沖野岩三郎と高木顕明~博愛・平等思想の実践

明治時代の末、新宮の地でその信仰の違いを超えて、広く人類を対等に愛する博愛思想や平等思想を実践していたのが、新宮キリスト教会の牧師・沖野岩三郎と真宗大谷派浄泉寺住職の高木顕明でした。ふたりは、キリストの教えと親鸞の教えと …

新宮キリスト教会跡

新宮キリスト教会跡(新宮市仲之町3丁目1-15)【地図】 1889年(明治17年)6月10日、新宮市中之町に、J.B.ヘールの指導により、9人の信者が新宮教会を組織し、大石余平を長老に、玉置酉久を執事に選びましだ。この日 …

東くめ宅跡

東くめ宅跡(新宮市馬町2丁目3-6、現モータープール)【地図】 東くめ(旧姓由比、1877-1969)は、「はとぽっぽ」「お正月」「鯉のぼり」など初めての口語体の童謡を作詞。滝廉太郎が作曲。夫君の東基吉(旧姓須川、187 …

« 1 12 13 14 16 »

観光情報

0

カテゴリー

Count per Day

  • 397932総閲覧数:
  • 69今日の閲覧数:
  • 61昨日の閲覧数:
  • 2016年3月28日カウント開始日:

QR Code

PAGETOP
Copyright © 新宮ネット All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.