我がふるさと新宮市出身の名のあるプロカメラマンにロードムービーのような作風で知られる鈴木理策がいる。東京芸術大学美術学部先端芸術表現科准教授で、立教大学兼任講師・東京綜合写真専門学校講師などを務める。写真集「KUMANO」では東京の自宅から夜行バスに乗り熊野神社へ、「Piles of time」では恐山へ、と聖地へと向かう道のりを多く撮っている。

過去、郷土の先輩・鈴木理策に続けとばかりに、私の先輩や同級生、後輩の中にもプロカメラマンを目指した者も少なからずいた。そんな、カメラ片手に飯を食ってきた先輩や同僚たちの雑談の中でちょっと面白い話が出たそうだ。今回は、その一端を紹介しよう。

デジカメの時代である現代とは違い、銀塩全盛時代のちょっと古い話。あるアマチュア・カメラマンが絞りを意識するようになってF8で撮影してみたら、見違えるような鮮明な写真が撮れた。ピントはぴったりと合っているし、画像はくっきりとしており自分がこれまでに撮った写真の中でベストショットと思える一枚になった。

この瞬間から写真の極意をマスターしたと思った彼は、常に絞って撮るようになり、くっきりとしたピントぴったりの写真を撮り続けた。自信を持った彼は、あちこちのコンテストに応募したが、落選ばかりで一向にいい結果に繋がらない。やがて彼は写真のことがわからなくなったと悩んだそうだ。

そこで先輩の一人が言った。F8くらいに絞って撮ったくっきりした写真は業界で「業務写真」と呼ばれていて、そのような写真を要求する人たちからの需要があり、技術的に優れた写真はよく採用される。しかし、コンテストで入賞するような写真は必ずしもくっきりした写真ばかりではないことをその人は知らなかったのだという。

写真というものは、くっきりしているところもあれば、ぼやっとしているところもある。その差に自然と奥行きというものが出来てストーリー性が生まれる。つまり、「くっきり」だけでは技術的に合格点を得ても芸術性では評価されない。なるほど写真というもは奥深いものだと初めて知ったのはこの時だった。それで飯を食っているプロというものはさすがだと感心したものだ。

(八咫烏)

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