「石は濡れている方がいい。乾いた石では絵にならない」
野村さんは、一枚の写真を見ながらこうつぶやいた。この言葉を聞いたとき、私は、ふと、阿久悠が書いたあの名曲「舟唄」の歌詞を思い出したのである。

「お酒はぬるめの燗がいい、さかなはあぶったイカでいい・・・灯りはぼんやり灯りゃいい」

ものの本質というものは、本来は簡単に変わるものではない。しかし、時と場合によって、ほんの少しのことでまるで違うものになりより大きな価値を生み出すことがある。一流の料理人はあり合わせの食材を使っても、それを見事な絶品料理に仕上げて見せるし、腕のあるカメラマンは、何でもない景色を感動を与えるものに変えてくれる。

野村さんは、さらにこう続けた。「もし、龍安寺の石庭の石に水をぶっかけたら、とんでもない犯罪行為になってしまうでしょうが、二ヶ領の川の石ならまず問題はないでしょう。来年は、柄杓でも持っていって水を掛けて撮ってやろうと思います」

この一枚の写真を見て、最初からそれを感じる人はまずいないと思う。しかし、野村さんのこの言葉を聞いてからもう一度じっくり見ると、確かに色気がないというか味気なさのようなものを感じる。わざわざ水を掛けてでも撮りたいという独特の発想は、素人にできるものではない。これが、プロカメラマンの技なのかもしれない。

実は、この写真は、桜の花びらが散る様子を撮るために二ヶ領用水に出向いたときのものである。水に流れる桜の花びらをとっていた時に偶然一本の草が岩にひっかかったものだ。これはこれで、自然が生み出した偶然の瞬間で、ある意味で面白い作品になっていると思う。

しかし、石の頭の部分が乾いていたために今一つの感があり、野村さんには不満が残るものになったに違いない。もし、石が濡れていたら、ワンランク上の写真になったはずだ。そのときの気持ちの表れが冒頭の言葉になったと思われる。いわば失敗作かもしれないが、その一枚からでも学ぶことができるし、やはりプロの目は違うものだと思った次第である。

(八咫烏)

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