「そだねー」という言葉が最近大きな話題となった。平昌オリンピックのカーリング女子で大活躍したLS北見のチームが、試合中、戦術を話し合うときに自然と出た方言である。北海道の一地方で日々精進を重ねた結果、世界の大舞台で活躍するようになり、そんな場でふと口をついて出た方言。私は、このひとつの言葉の裏に、このチームが大きな夢を抱いてどのような努力を積み重ねてきたのかに思いを馳せるのである。

進学や就職を期に、多くの若者が故郷を離れて都会に出る。暫くの間は、そこで話されるいわゆる標準語と自分の方言とのギャップに戸惑いながらも次第に慣れていく。おそらく1年もすればすっかり慣れて、久しぶりに帰省したときには、もういっぱしの都会っ子になっている。いいも悪いもなくごく普通の現象であり、またそれが生きる術でもあろう。

某新聞社の最近のアンケートによると、「方言は好きですか?」という質問に対し、「はい」は87%、「いいえ」は13%であったという。肯定派の理由のトップは「温かさ、やさしさ」であり、否定派の理由のトップは「意味が分からない時がある」となっている。確かに、意味がわからずに起きたエピソードは誰でもひとつやふたつは持っているものだ。しかし、自分が生まれ育った地域に対する懐かしさとともに、方言に対する思い入れがあるのは間違いない。

最近、テレビドラマでは地方出身の主人公を取り扱うケースが増えているようだ。そして当然、方言が話題の一つになる。昔なら、「方言=田舎者・ダサい」というマイナスイメージが大きかったが、今は、「方言=素朴さ・温かさ」というプラスイメージが大きくなっている。人は心の奥で、方言に対して温かさ、親しみやすさを大きく感じているのであろう。そのことに気づいているドラマ制作者がそこに狙いをつけているような気がしてならない。

私自身は、小さい時から「ことば」に対する興味・好奇心が強かったように思う。一つの例として。新宮弁の「行こら(行きましょうの意)」と「行これ」の使い分けがある。目下の者や同等の立場の者には「行こら」が使われ、目上の人に対する場合や、女性言葉では「行これ」が使われることを体験的に知っていた。謙譲語、女性語ということだろうか。

実は、このような新宮弁に魅力を感じ、その中のある種の法則をまとめてみたら面白いかもしれないと思ったことがある。長年そう思っていたがある時、城和生先生の「新宮弁講座」によって実現されていることを知ったのである。このとき、自分と同じことを考えていた人がいたという驚きとともに、先を越されたと少しだけくやしい思いがしたものだ。

そしてこの「新宮弁講座」をじっくり読ませてもらったとき、実によく整理されてまとまっていること、あらゆる方向から分析されていて中身が濃いことなどに感心し、その時から大ファンになってしまった。結果、この「新宮弁講座」はあちこちで認められ、今では、ラジオで番組にもなっているほどだ。世代が移り行く中で言葉も進化していくかもしれないが、何とか消えずに残したいと思う次第である。

 

 

 

 

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