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熊野・新宮の歴史雑学

城を学ぶ⑦~新宮・水野氏

子供の頃よく遊んでいたこのお城の殿様は誰だったのかをあまり考えたことがなかった。400年ほど前、この城下町に住んでいた我々の祖先はその殿様の統治のもとで生を営んでいたことは間違いがない。名前だけは聞いたことがある「水野家 …

紀州熊野捕鯨船屏風

このほど、那智参詣曼荼羅とともに県文化財に指定された「紀州熊野捕鯨船屏風」は、郷土史家・田中敬忠(1897-1989)の紀州ゆかりの文化財コレクションに含まれていたもので、平成元年(1989)に県立博物館に寄贈された。6 …

那智参詣曼荼羅が県文化財に

先に紹介した美術工芸品絵画「那智参詣曼荼羅」が、同じく「熊野観心十界曼荼羅」、及び美術工芸品歴史資料「紀州熊野捕鯨船屏風」とともに、このほど和歌山県教育委員会により、県の文化財に指定されました。 今回指定を受けた「那智参 …

世界遺産「阿須賀王子跡」(阿須賀神社・蓬莱山)

熊野は、これまでどちらかというと全国の観光地の中でもマイナーな存在であったと思う。しかし、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産として登録されて以来、アクセスが少々不便であるにもかかわらず、次第に …

顕微鏡の彼方に “Tanabe Kii Japan”

最近、NHKのテレビ番組で南方熊楠を紹介していましたが、ご覧になった方も多いと思います。ここに、2017.10.22に開催された「南方熊楠翁生誕150周年記念式典・シンポジウム」で流れた映像を紹介します。 0

那智参詣曼荼羅

「那智参詣曼荼羅」は、熊野本願寺院に所属した熊野山伏や比丘尼が、庶民への布教と勧進のため、全国に持ち歩いた霊場案内図である。那智参詣曼荼羅図には中世の信仰の様子が描かれている。神仏が習合したこの聖地曼荼羅を見てみよう。 …

八咫烏⑤~世界の三足烏

三本足の烏についての神話は他の国でもみられる。Wikipediaに記述が見られたので紹介したい。 各国の神話 3本足の鳥の神話は世界に広がっており、太陽と関連付けられていることが多い。 中国 三足烏(さんそくう、さんぞく …

八咫烏④~三本足の意味

八咫烏の三本足の意味については諸説あるようだが、Wikipediaでの説明がわかりやすいので紹介したい。 三本足の意味 八咫烏が三本足であることが何を意味するか、については諸説ある。熊野本宮大社では、八咫烏の三本の足はそ …

八咫烏③~「八咫烏」の意味は?

神武東征の時に熊野から大和に導いたといわれる八咫烏は、古事記では「大烏」、「日本書紀」では「頭八咫烏」と表記されている。「八咫烏」の意味はそもそも何なのだろうか?実は諸説あってどれが真実なのかいまだにはっきりとはしていな …

八咫烏②~神武東征神話(日本書紀)

先に、古事記にある神武東征神話について書いたが、これに対して「日本書紀」ではより詳しく伝えられている。 熊野についての場面を中心に見ていこう。注目は八咫烏の登場間面である。(山本殖生著「熊野 八咫烏」から) 熊野で暴風に …

八咫烏①~神武東征神話(古事記)

八咫烏のことについて書く場合、やはり神武東征の神話から始めなければならないだろう。八咫烏が登場する最初の文献であるからだ。山本殖生著「熊野 八咫烏」に詳しいので紹介したい。「古事記」に記されている神武東征の経過は次の通り …

南方熊楠展開催のお知らせ

南方熊楠(1867-1941)は博物学、宗教学、民俗学の分野における近代日本の先駆者的存在であり、同時に植物学、特に「隠花植物」と呼ばれていた菌類・変形菌類・地衣類・蘚苔類・藻類の日本における初期の代表的な研究者です。 …

太地町の捕鯨の歴史~⑫捕鯨の仕事由来の名字

捕鯨の仕事の中で、海に出てくじらと格闘する漁師たちの仕事は、いわば花形であろう。しかし、海には出ずに陸上でやらねばならない重要な仕事もたくさんあったのである。 事前にくじらを発見する役を担う山見での仕事としては、見張り役 …

太地町の捕鯨の歴史⑪~太地の「洋上くじら踊り」

くじらの町として全国にも知られる太地町では、地元保存会が中心となり伝統芸能の保存活動に積極的に取り組んでいる。毎年8月14日に行われる盆供養花火大会には、花火の打ち上げ前に、「洋上くじら踊り」と「鯨太鼓」が披露される。 …

太地町の捕鯨の歴史⑩~伝統芸能「くじら踊り」

志摩半島の南部の北牟婁郡海山町紀伊長島町が串本から潮ノ岬を通って紀ノ川流域の北の和泉山地までの広大な紀伊半島南部を紀伊の国といい、紀州徳川藩の領地であったが、その中で紀伊藩を監視するように譜代大名の水野氏を置いた。 紀州 …

太地町の捕鯨の歴史⑨~くじらの博物館

約1000点にもおよぶくじらの生態や捕鯨に関する貴重な資料を保管、展示する「太地町立くじらの博物館」。くじらに関しては世界一のスケールを誇る博物館として、捕鯨人たちの偉業を後世に伝えると共に、国際的な研究の場となることを …

太地町の捕鯨の歴史⑧~熊野に納められた古式捕鯨図

熊野は富士山、熱田神宮と並んで日本の蓬莱信仰の三大対象地であって、また、神武天皇が八咫烏の先導により、大和の橿原宮に入った時に、入跡したところでもあり、霊験あらたかな土地柄である。そして、くじらは古事記の神武天皇の条に久 …

太地町の捕鯨の歴史⑥~復元された捕鯨史跡

日本で最初に鯨油を用いた燈明灯台、寛永13年(1636)に建てられた「東明崎」もまた山見の置かれた場所だった。かつて太地崎などと呼ばれたが、灯台ができて明かりが灯されるようになると「灯明崎」になり、今では、東にあるこの岬 …

太地町の捕鯨の歴史⑤~遭難者とくじらの供養塔

明治11(1878)年、の「大背美流れ」事件は、船をほとんど失い、百人余りの漁師が亡くなるという、太地捕鯨の歴史の中で最も大きな事件であった。この時の遭難者の供養のための供養塔「漂流人記念碑」が、太地漁港を見下ろす旧県道 …

太地町の捕鯨の歴史④~和田一族の墓

太地捕鯨の歴史は、そのまま和田一族の歴史でもある。和田一族の菩提寺「順心寺」には、一族代々の墓が建ち並び、日本で初めて突取法により捕鯨業を始めたとされる和田頼元の墓もあるが、中でも最も大きな五輪塔の初代角右衛門頼治の墓か …

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